與賀神社の歴史と由来:欽明天皇から鍋島藩まで
與賀神社は欽明天皇の時代である564年に創建され、非常に古い歴史を持つ神社です。
創建当初は「与止日女大明神」として知られていました。
鎌倉時代に北条義時によって社殿が再興され、江戸時代には鍋島氏によって佐賀城の鎮守、産土神として崇敬を受けていました。
特に鍋島氏は社殿の造営を行い、数々の寄進を行ったことで、與賀神社は地域の中心的な存在となりました。
さらに、明治時代には県社に列せられ、その後も地域の守護神として信仰されています。
與賀神社の御祭神とそのご利益
與賀神社の主祭神は豊玉姫命で、神武天皇の祖母にあたる龍宮城の乙姫様です。
これに加えて、応神天皇や菅原道真公も祀られており、彼らはそれぞれ武道の守護や学問の神として信仰されています。
このため、與賀神社は安産、学問成就、交通安全、武道の守護など、多岐にわたるご利益があるとされています。
さらに、殖産開運や鎮護国家の神としても信仰され、地域住民の生活に深く根付いた存在です。
境内を彩る重要文化財:楼門と肥前鳥居
與賀神社の境内には、国の重要文化財に指定されている楼門と肥前鳥居があります。
楼門は室町時代から安土桃山時代にかけて建造され、その後、鍋島氏によって修復されたと伝えられています。
この楼門は、佐賀城の鬼門を守るために建てられたとされ、現在もその壮麗な姿を保っています。
また、境内には三基の肥前鳥居があり、そのうちの一つは慶長8年に建立されたもので、鍋島直茂の夫人によって寄進されました。
これらの文化財は、与賀神社の長い歴史と地域社会との深い結びつきを象徴しています。
与賀城との関わり:少弐政資公と鬼門の鎮守
与賀城は、文明14年(1482年)に少弐政資公によって築かれました。
彼は与賀城を鬼門の鎮守として與賀神社を崇敬し、社殿や楼門を建立しました。
少弐氏は佐賀一帯を開発し、地域の発展に大きく貢献したことで知られています。
彼の手によって、與賀神社はさらに発展し、地域の守護神としての役割を強化しました。
少弐政資公は、その功績から地域の神としても祀られ、彼の影響力は現在でも与賀神社の歴史に深く刻まれています。
千年を超える巨木の御神木とその神秘
與賀神社の境内には、樹齢1,000年以上と推定される巨木のクスノキが3本存在します。
これらの御神木は、神社の歴史とともに長い年月を生き抜いてきました。
その中でも、最大のものは樹齢1,400年を超えるとされ、佐賀県の天然記念物に指定されています。
この御神木は、訪れる人々に神聖な雰囲気を与え、地域の自然と歴史を象徴する存在です。
御神木の存在は、與賀神社がいかに長い間、地域社会と共にあったかを物語っています。
年中行事と伝統神事:佐賀の文化を伝える祭り
與賀神社では、年間を通じて多くの伝統的な神事や祭りが行われています。
特に有名なのは、毎年10月に行われる「例祭(おくんち)」です。
この祭りでは、神輿や獅子舞が披露され、地域の人々が一体となって伝統を守り続けています。
また、七夕祭や夏越大祓などの季節ごとの行事も行われ、地域の文化や信仰が色濃く反映されています。
これらの行事は、佐賀の伝統文化を後世に伝える重要な役割を果たしています。
@user8007571557775 與賀神社 佐賀市与賀町鎮座 佐賀市内でも古い縁起を持つ古社。
参道と境内入口に建立されている二の鳥居と三の鳥居はいずれも肥前鳥居で、三の肥前鳥居、石造反橋の神橋、楼門は国の重要文化財です。
楼門前では文化4年7月生まれの個性的な狛犬が守護し、境内には銅板葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。
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